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東京高等裁判所 昭和24年(新を)3666号 判決 1950年4月08日

被告人

小寺貴満

主文

原判決を破棄する。

本件を宇都宮地方裁判所に差戻す。

理由

前略。右控訴の趣意第一点について按ずるに、刑事訴訟法第二百九十一条第二百九十二条に依れば、検察官の起訴状朗読後、裁判長はいわゆる被告人の権利保護の為の事項を告知した上、被告人及び弁護人に対し、被告事件について陳述する機会を与えるべく、此の手続が終つた後は直ちに、証拠調に入ることとなつている。此の被告事件について陳述する機会を与えるのは、主として被告人の利益の為であつて、管轄違の申立、忌避申立等の訴訟上の申立の外、公訴事実の認否、又は弁明、犯罪不成立の主張等実体上の主張をも為さしめる為のものである。此の機会を利用すると、否とは固より被告人及び弁護人の任意である。又此の機会に裁判長から被告人に対し、公訴事実に対する認否を質して争点を明かにすることも亦許さるべきことである。併し乍ら、訴訟に於ける当事者主義を強調し、被告人訊問を廃止した新法の下では、当事者の立証に入る前に、裁判長が前述の限度を超え、被告人の前歴、犯罪の動機、態様犯罪後の行動等について自ら、問を設けて被告人に質問し、その陳述を求める如きは、新法の精神に反する。殊にかかる質問に対しては、被告人は詳細に事実を自白することがあり得るのであるが、その自白は又、直ちに被告人に不利益な証拠となるのであるから、刑事訴訟法第三百一条が、自白に関する証拠は、他の証拠が取調べられた後に、はじめて取調べらるべきことを規定し、以て裁判官に予断や、偏見を生ぜしめるおそれのないように措置した所以の趣旨に鑑み、かかる被告人の自白を導く如き質問は、未だ此の段階に於ては許されないものと解さなくてはならぬ。尤も、同法第三百十一条第二項は、裁判長は何時でも必要とする事項について被告人の供述を求めることができると規定して居り、此の規定そのものは必ずしも、証拠調の段階に入つて後のことに限るとせまく解すべき理由はないが、少くとも証拠調に入る前、殊にいわゆる冐頭陳述の機会に於いては、その質問も前示争点整理等、必要の範囲に限局せらるべきものであることは自ら明らかである。今本件記録によつて、原審審理の跡を検討するに、原審裁判官は、検察官の起訴状朗読後、被告人両名に対し、夫々起訴状を読聞け「この事実はどうか」と質問し、被告人等は夫々事実はその通り相違なき旨述べ、弁護人も亦被告人等の申した通りで、別に陳述することはない旨述べたものであるが、茲に於て裁判官は、直ちに立証に入らず、一転して被告人小寺貴満に対し、相被告人合資会社増田商店との関係、会社に於ける地位等より本件犯行の動機、態様等詳細に互つて質問し、その間屡々論旨指摘の如き発問を交えて同被告人の供述を求め、次で被告人合資会社増田商店代表者、代表社員増田寅蔵に対し、同様詳細な質問を為して、その陳述を求め、第三回公判に至つて始めて証拠調に入つたことは、弁護人所論の通りであり、右被告人に対する質問は明に、冐頭の争点整理に引続いて為されたものであつて、固よりその限度を超え、その詳細の自白によつて裁判官が動かし難い心証を形成したであろうことは推察に難くない。斯くの如きは、旧法に於ける被告人訊問と全く異らない審理方式とを謂うべく、被告人訊問制度を廃止し、前示第二百九十一条、第二百九十二条、第三百一条等の規定を設けた新法の精神に反するものといわなければならない。即ち、原審の訴訟の手続は、此の点の違法があり此の違法は、判決に影響があるものと解するを相当とするから、原判決は破棄を免かれない。此の点に関する本論旨は結局理由がある。

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